よどみないけど平坦じゃない、観客を飽きさせない仕掛け―『急に具合が悪くなる』濱口竜介監督に聞く音声ガイド制作の裏側
濱口竜介監督の最新作『急に具合が悪くなる』(6月19日(金)公開)。本作は、第79回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に選出され、W主演を務めたヴィルジニー・エフィラと岡本多緒が最優秀女優賞を受賞した話題作。
哲学者・宮野真生子と人類学者・磯野真穂による同名の往復書簡集を原案に、パリ郊外の介護施設で理想的なケアのあり方を模索するマリー=ルーと、がんで闘病中の日本人演出家、真理が出会い、魂を通わせていく数日間を描いています。
UDCastを運営するPalabra株式会社では、『ドライブ・マイ・カー』『悪は存在しない』など、多くの濱口監督作品の音声ガイド制作を担当してきました。今回は、音声ガイド制作・松田高加子が、濱口竜介監督にインタビュー。音声ガイド制作を通して気づいた作品の魅力に迫ります!
※当記事は映画『急に具合が悪くなる』の内容への言及を含みます。ご注意ください。

濱口竜介監督
バリアフリー音声ガイドとは?
映画の映像部分の情報を言葉で説明して、ナレーション収録したもの。テロップや情景・人物の動きなど、目から入る情報を説明します。主に目がみえない、みえにくい方に活用されています。
「見る」を突き詰めた果ての音声ガイド
Palabra株式会社・松田(以下、松田):濱口監督は、複数の作品で音声ガイドを取り入れられています。監督ご自身は、音声ガイドをどのように受け止めていますか?
濱口竜介監督(以下、濱口):音声ガイドについては、やるたびに本当に面白いなと思っています。何が面白いかというと、「見る」ということを突き詰めた果てに音声ガイドが生まれる、ということではないでしょうか。視覚的な情報を、直線的なタイムラインの中で言葉に置き換えていく。どこか俳句にも似た…。 まさに技術の結晶で、いつも見事なものだなと思っています。
松田:Palabraの音声ガイド制作では、映画製作者と当事者モニター、音声ガイド制作者の3者が集まって意見交換する「モニター検討会(以下、モニター会)」を行って表現をブラッシュアップしていきます。濱口監督は毎回参加されていますが、「この言い回しは気持ち悪いな」と思うことはありますよね?
濱口:視覚情報を言葉に置き換えるのはどこかで限界がある中で、それをプロがやっているわけで。自分が口を出せるのは、伝えたいことの焦点がずれている時ぐらいかなと思っています。
よどみないけど平坦じゃない、すごさ
松田:濱口監督の作品は、「よどみないけど平坦じゃない」という印象があります。今回の作品でも、すべての要素が無駄なく組み合わさっていて、どれも音声ガイドとして落とせないと感じました。
たとえば、真理が演出した舞台のパリ公演の後のシーン。シャンシャン、と後ろから聞こえてきて、マリー=ルーが振り返ったら智樹(自閉症の少年。フランス公演の間、真理が演出する舞台の主役である祖父の清宮吾朗と行動をともにする)がいて、そこからマリー=ルーと真理が川の横を歩くまで、ずっとよどみなく、たくさんのことが起きている。音声ガイドを書いている時、正直「どこを歩いてます」と言うだけでもいいのだけれど、からくり仕掛けの「ピタゴラ装置」でドミノが倒れたらビー玉が転がりだすというように、シーンからシーンへ繋がっていくのを伝えるには音声ガイドでそれらを拾っていかないといけなくて、どれか一つでも要素が欠けるとその先がつながらなくなってしまうんですよね。

松田:具体的に気になったシーンを取り上げてお聞きします。まず、マリー=ルーが目のくまを気にして鏡をのぞいているシーン。ここでは、鏡の中に別の鏡が映っていて、その中にもマリー=ルーの姿が映ります。
濱口:はい、鏡が二重になっていますね。
【実際の音声ガイド原稿】 ※<カッコ>内は本編情報
洗面所。マリー=ルーが鏡で顔を見る。
横へ歩いて鏡から消える。
鏡の中の鏡に映る。
<ジャーという蛇口からの水音>
鏡の前で、コップに水をそそぐ。
錠剤を口に含み、水を飲む。
横へ歩き、鏡から消える。
鏡の中の鏡からも消える。
寝室でベッドに入る。
松田:監督ご自身としては、「鏡の中の鏡」といった表現は言わなくてもいい、と思われていましたか?
濱口:いえ、そんなことはないです。あのシーンは、言葉で説明しても伝わりにくいですよね。カメラと鏡、そしてもう一つの鏡が鳥瞰すると逆V字型に配置されているんですが、そんなふうに言っても伝わらないですよね。見えている通りに「鏡の中の鏡」と言うことで、入れ子状の視覚的仕掛けがあることを直観的に想像してもらえます。さらに、そこから消えた人が寝室に現れる。その連続性ある視覚的な体験に近い感覚をガイドで表現できていたので、とてもよいと思いました。
松田:「鏡の中の鏡」という構造を、あえて選んだのですか。
濱口:実際にお借りした家が、ああいう鏡の配置だったので、鏡と鏡の間にカメラを置くとそうなったんです。やりすぎてもいけないけど、これくらいの視覚的な華やぎがある方が、観客にとっても退屈ではないし、シーンとの兼ね合いで選んでいる気がします。
松田:そういう飽きさせないための仕掛け、というのは意識しているんでしょうか。
濱口:それもありますが、実はものすごく細かく準備しているというより、何度も繰り返し撮り、膨大な素材の中からショットを選んだ結果です。3時間16分の映画に対して70時間近い素材があり、それを何度も何度も観る。その中に、「えも言われぬ強度」みたいなものを持っているショットがある。鳥が飛んできたり、葉っぱが一枚落ちてきたり、といった偶発的な要素が画面のリズムになっていると感じて選んでいるものも多くあります。

言語化されていない演出を表現する
松田:後ろ姿や固定カメラのシーンを音声ガイドに反映させることについてお聞きします。シモーヌ(マリー=ルーが施設長を務める介護施設「自由の庭」に入居している女性)が居室で亡くなり、遺体が運ばれていくシーンがあります。ジブリル(介護士)は後ろ姿で、顔は見えません。固定カメラで撮られた四角い枠の中で動きがあることを伝えるために、このように書きました。
【実際の音声ガイド原稿】
車輪付きのベッドを押していくジブリルの後ろ姿。
廊下に出て方向転換、白いシーツに覆われた遺体。
入口を横切っていく。
庭に面した窓が見える。
松田:ここは、監督の意図とどこまで合っていましたか?
濱口:全部、合ってますよ。というか、実はあのシーン、メインで撮っている中庭のある施設とは別のロケーションで撮っているんです。そうすると、撮っている側は必要以上に、同じ場所に見えるかどうかという不安を抱くんですよね。この部屋はドアの向こうに窓があり、それが庭らしきものと壁を映している。これがあれば観客は同じ空間だと思ってくれるだろう…、というのがこのカメラポジションのそもそもの理由なんです。
松田:意外な理由でした!(笑)
濱口:実際的なことなんですよ(笑)。ただ、この施設は人が亡くなっていく場所でもあって、後ろ姿での撮影は、そのことの「そっけなさ」というか、システマティックに遺体が運ばれていく様子を示してもいると思います。
松田:後ろ姿ということを伝えないと、目の見えない人には顔が見えているように聞こえてしまう。音声ガイドでも、表情が見えないからこそ想像してもらえたらいいなと思いました。
濱口:演出で言語化していないレベルのことはたくさんありますが、音声ガイドになると、それが改めてはっきりと言語化されるという印象がありますね。

観客の集中力を回復させる仕掛け
松田:もう一つ、固定カメラのシーンがあります。真理が日本の実家に帰っているシーンで、「暗闇の中に、明かりの灯った四角が3つ並ぶ」という音声ガイドを書きました。私じゃない人だったらこういう風には書かないのかも、と思ったりしたのですが…。
濱口:音声ガイドをつくる人それぞれ固有の感じ方があるとは思いますが、画面に即したガイドであるということはとても大事だと思っています。
松田:家の窓の明かりを離れた場所から見ている視点ですが、どうして遠くから撮ったんですか?
濱口:「風景」を眺める時より、「人間」を眺める時の方が観客側の人間的な関心が作用するので、より観客が没入してしまう。この映画の大部分はそうやって構成されていますが、そこから出る時間も必要です。そうでないとかえって、最後まで集中して見続けることができない。それが映画としてマイナスにならないような形で、かつ、観客の集中力も回復させながら語ろうとすると、ああいう感じになるんです。
松田:マリー=ルーと智樹が木の下にしゃがんで雨宿りをするシーンも印象的でした。ここは、カットの頭で必要なことをガイドして、次に木を見上げるカットに変わるまでの12秒間、音声ガイドを入れませんでした。雨音を聞かせることで、二人が並んで聞いているイメージが伝わると思ったからです。ガイドを抜けば約15秒間、あのセリフのない時間はどういう意図ですか?

濱口:あそこも結局、今言ったことと近いと思います。言葉に支配されているような状況から離れ、自然が人間を回復させる時間が描かれています。マリー=ルーはここまで、時間的な余裕もなく精神的にもギリギリな状態で、「おそらくこういう自然を味わう時間はほとんどとれなかったんじゃないか」とヴィルジニーさんにも伝えたことを覚えています。それを沈黙の10数秒で、ある程度直接的に観客とも共有している。
松田:ガイド原稿を書く際には、一旦確認しているので、「ガイドを入れなくていい時間」とみなして飛ばすのですが、モニター会で通しで見直した時に、後のシーンで真理がマリー=ルーのことを「智樹と仲良くなれた人」と呼んだり、マリー=ルーが「智樹に元気づけられた」と言う理由がここに集約されている!となりました。
濱口:ありがとうございます! ここで何のガイドも入れないことは素晴らしい判断だと思いました。雨と風の音を聞けば、音声ガイドを聞く人にとっても十分に状況がわかると思います。実は、雨はたまたま降ったんです。結果的に、雲が迫ってくるのが見えたり、普段撮れないものが撮れてラッキーでした。

松田:よどみなさの中にも、こういう「余白」の時間があって素晴らしいですね。逆に、マリー=ルーと真理がメッセージのやりとりをするシーンは、観客を集中させる装置ですよね。
濱口:そうです。あのシーンは編集も難しかったですね。必要以上に長いとすごく説明的に感じてしまう。テキストだけという動きのない場面でも、観客の頭の中が大忙しになるくらいがちょうどいいと思ってやっています。
松田:カット変わると、直前のシーンで保険庁からの監査官の様子を気にしていたケヴィン(施設の理事)から好意的なメッセージが来ていて。直接メールが来たの?と思ったら、マリー=ルーからのスクリーンショットの転送だったという流れ。
濱口:そこ、わかりづらいですよね。
松田:でも、モニターさんにはちゃんと伝わっていました。
映像で伝わりにくいものを、どう表すか

松田:重さや匂いなど、映像では伝えにくいものもありますよね。たとえば真理が「自由の庭」で開くワークショップの中で、入居者とスタッフたちが布団のように重なり合って寝ているシーン。
【最初の音声ガイド原稿】
芝に、折り重なった人々。
うつ伏せの3人の背中を横断する仰向けの人。
松田:モニター会で最初の原稿を読んで、監督から「下になっている人がスタッフだということは伝えたい」という要望をいただきました。入居者のお年寄りを下敷きにはしていないよ、という意味で。そしたら、モニターで来てくれた男性が、あの方はもともと理学療法士なのですが、「かなり重いだろうなと思ったんですよ!」とおっしゃったんですね。原稿はこのように修正しました。
【修正後の音声ガイド原稿】
芝に、3人のスタッフが並んでうつ伏せ。
背中を横断する仰向けの女性。
松田:映画の中の触覚というものを想像しきれていなかったな、と反省しました。そして、やはり日々人の体に触れている理学療法士さんは、体験として映画の中の触覚を理解されていたのが興味深かったです。
他にも、マリー=ルーが入居者の前にしゃがんで、匂いで何かに気づいて、シャワーをうながすシーンがあります。ここは、映像として伝えることが難しい「匂い」を端的に見せていて、すごいなーと思いました。ガイドは「マリー=ルーが匂いに気づく」と入れました。

あいまいなものは、あいまいなままに
松田:スタッフ同士が会話しているシーンで、マリー=ルーがその会話を聞いているのか、聞いていないのか、あいまいなシーンもありましたね。私は、はじめ「マリー=ルーが聞いている」と書いて、監督に確認を入れたら「聞いていない説です」と回答が返ってきて(笑)。その説を取り入れて、「2人の合間に、マリー=ルーの姿」と映像のままに書きかえました。
濱口:でも、そこが音声ガイドのこだわりでもありますよね。視覚的に明瞭でないあいまいなものは、音声ガイドでも明瞭にしない。ただ、見えているのと同程度にわからせる。その言葉選びには匠の技を感じます。
松田:最後に褒めていただきました(笑)。ありがとうございます!
インタビューを終えて
モニター会中の濱口監督はポーカーフェイスで座ってらっしゃるので、どう感じていらっしゃるのかな、と緊張するのですが、伝えるべき点がずれている時と、この映像は拾ってほしいというところで発言してくださるので、ご自身の映画を視覚障害のあるお客さんに届けるという気持ちが伝わってきます。鑑賞後、作品の世界がしばらく続くような感覚になる作品です。ぜひ、映画館で体感してみてください!

濱口竜介監督
1978年神奈川県生まれ。東京藝大大学院修了後、『PASSION』や『不気味なものの肌に触れる』で注目を集める。2015年『ハッピーアワー』で国際的評価を確立。商業デビュー作『寝ても覚めても』がカンヌ映画祭コンペ選出、『偶然と想像』でベルリン映画祭銀熊賞を受賞。21年の『ドライブ・マイ・カー』は米アカデミー賞国際長編映画賞を受賞。続く『悪は存在しない』でのヴェネチア映画祭銀獅子賞受賞により、黒澤明以来2人目となる世界三大映画祭とアカデミー賞すべてでの主要賞受賞を果たした。最新作『急に具合が悪くなる』は、自身初の海外撮影作品。
上映案内
『急に具合が悪くなる』
6月19日(金)TOHO シネマズ日比谷ほか全国ロードショー
© 2026 Cinéfrance Studios – Arte France Cinéma – Office Shirous – Bitters End – Heimatfilm – Tarantula – Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners
配給:ビターズ・エンド
https://www.bitters.co.jp/soudain/
映画『急に具合が悪くなる』は、6月19日(金)より全国の映画館で上映されています。
https://theaters.jp/33616
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https://udcast.net/feature/udcast-movie_theaterlist/