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苦悩とともに、どう生きる?―盲ろうの福島教授にきく

 盲ろう者で世界初の大学常勤教員となり、現在は東京大学先端科学技術研究センターでバリアフリー分野を研究する福島智教授。彼の生い立ちをもとにした映画『桜色の風が咲く』が、11月4日に公開されました。9歳で失明、18歳で聴力を失い絶望するものの、母・令子さんが「指点字」(福島教授の指に自身の指を重ね、点字を打つコミュニケーション手段)を思いつき、再起をはかる軌跡が描かれています。

 一方、福島教授は「指点字で救われるかと思ったが、実際はそうではなかった」と言います。映画の「その後」に、どのような苦悩があったのか。孤独や孤立が叫ばれるコロナ禍に思うことや、文化芸術への思いも聞きました。(文・写真:原菜月)


画像 福島先生のバストショット 考えを巡らせているような表情

 

どん底まで落ちるのも悪くない

Q:映画にも出てきましたが、福島教授は盲ろう者になった経験から、「苦悩には意味がある」とおっしゃっていますね。

──小学生の時に失明し、18歳になった1980年の暮れから1~2か月で急激に聴覚が落ちました。その頃は学校を休んで神戸の実家で療養していましたが、やることがないんですね。ラジオもレコードもテレビもきけない。周囲とコミュニケーションを取るのも難しい。とにかくやることがないので、点字の本を読んだり、友人への手紙や日記を書いたり、読書ノートを作って、自分の病状を絡ませて感想を書いたりしていました。この頃はとことんしんどくて、友人への手紙でも苦悩をつづっています。そのうちの一通には、「我々を生み出した神のような何者かがいるとしたら、生きている意味や使命が何かあるのかもしれない。そう仮定すると、今経験している苦悩にも何か意味があるに違いない。そう思い込むしかない」といったことが書かれています。思索はそこで行き止まり、内面的には一定の決着がつきました。その後おふくろが指点字というコミュニケーション方法を思いついたり、寄宿舎に戻った際に10~20人の友人が出迎えてくれたりして、復活できるかもしれないと思いました。その後また絶望する時期がありましたが。

 苦悩とともにどう生きるか。分かりませんが、一つ言えるのは「どん底までとことん落ち込むと、逆説的な安堵感が生まれる」ということです。私は幼いころから目が少しずつ悪くなるのを繰り返し、そのたびに一喜一憂していました。「また悪くなるんじゃないか」と、おふくろも私も心が休まることがなかった。でも全く見えないしきこえない状態になったとき、「やっとここまで来たか」という感覚がありました。じゃあ、今度はこのどん底でどうやって生きていくかだなと、ある意味踏ん切りがついたのです。とことん落ち込むのも良いかもしれませんね。

 

Q:近くにいる人がどん底に落ち、孤立感を抱いているとき、私たちはどのようなコミュニケーションを取れば良いのでしょうか。

――盲ろう者になってからコミュニケーションが断絶され、根源的な孤独に襲われました。自分が世界から消え、別の世界に吸い込まれていくような、存在の不確かさを味わいました。理屈抜きで、コミュニケーションは生きる上での水であり、酸素であり、食べ物であり、魂にとって必須のものだと感じました。

 母が思いついた指点字で救われるんじゃないかと思いましたが、実際はそうはいきませんでした。指点字は言葉を交わす手段にすぎず、まず使う人が少ない。いたとしても、その人は多くの場合、私に話したい時だけ話します。私は話したい話題ではなくても、せっかく指点字を使ってくれているからと付き合うわけです。そして10~15分たつと、その人は満足して「じゃあね」とどこかへ行ってしまう。その繰り返しでした。まるで地下の牢獄に閉じ込められ、狭い窓の向こうに現れた慰問者が「元気にやってるか」「頑張れよ」と言って去っていくのを見ているようでした。実家から寄宿舎に戻って、約4か月はそんな状況が続きました。悪気がない人たちの中に放り込まれているがために、もう救いがない。相手任せで細切れのコミュニケーションに、心が引き裂かれました。

 深く絶望していた時、指点字の通訳をしている人を知りました。盲学校にいたため点字には慣れ親しんでいたけど、通訳をつけるという発想には至っていませんでした。指点字そのものは私にとって必要条件だったかもしれないけど、十分条件ではなかった。それだけではコミュニケーションの世界に戻ることはできませんでした。実際生きていく上で大事だったのは、もっと具体的な支援でした。

 質問の、孤立している人との向き合い方ですが、その人の立場になって寄り添える人がいるかどうかですよね。気遣う立場になれるかどうか。永続的には無理だとしても、ある一定の時間や期間はその人を中心に置き、真剣に苦悩に共感できるかが最も重要です。断片的な言葉が洪水のように押し寄せても、あまり力にならないと思います。

背中画像 インタビュアー越しの福島先生と通訳者

指点字の通訳を受けながらインタビューに応じる福島教授

 

Q:新型コロナウイルスの感染拡大によって、リモートでやり取りする機会が増えました。面倒が減り便利になった一方で、孤独感が増したという声もきかれます。コロナ禍が社会にもたらしたコミュニケーションの変化について、どう感じていますか。

――リアルなコミュニケーションの機会が奪われました。例えば子どもが学校へ行くのは、授業を受けるためだけではありません。友達と遊んだり、一緒に給食を食べたり、帰り道に買い食いしたり。勉強も、友達と一緒だと大きな刺激になります。ネットで授業は受けられても、友達とのダイナミックな、「ばかばかしい」やり取りはありません。たしかにリアルは面倒だし、緊張感やトラブルもあります。ただ、人の想像力というのは、リアルで具体的な体験が要素になっているはずです。どんなに天才的な芸術家であってもそうだと思います。作品に接する側は、作品の向こうにあるものと自身の体験や感情がつながることで、感動したり、反発したりするのだろうと思います。

 現在、リアルな交流がとりわけ制限されているのは、子どもたちです。大人と比べて現実体験が少ない子ども世代は、肥大化したサイバー空間でのコミュニケーションに認識世界を覆われているのではないかと思います。そうなると、ちょっとしたことがものすごく大きな問題に思えて、「もう死ぬしかない」などと思うおそれがある。盲ろう者になった経験から、そう想像しています。

 

画像 指点字をうける手のアップ

指点字のようす。通訳者がリアルタイムで、福島教授の指に点字を打っていく

 

逆境を逆手に取るユーモアと、SF的発想

Q:福島教授はご自身の著書などで、聴力が次第に落ちていったとき、小学生のころからSFや落語に触れてきた経験の蓄積によって心が救われたと書かれています。Palabra(UDCastの運営会社)は映画鑑賞のバリアフリー化に取り組んでいますが、改めて、文化芸術やエンタメに触れる意義は何だとお考えですか。

――小学校高学年で落語やSFに出会い、中学時代にどっぷり浸かったときに培われたストックのようなものが、のちに力になりました。

 上方落語も江戸落語も、かなりの数聞きました。当時は特に上方落語の名人・桂米朝さんが好きで、病院へ行った際におふくろをだまくらかして、彼のLPレコードで買えるものはすべて買ってもらいました。落語の世界では、登場人物が逆境を逆手に取るんです。たとえば極端な貧乏でも、開き直ってユーモアに転換していく。そこが面白いなあと思いました。

 SFは、小学6年の時に星新一さんの作品が録音されたテープをきいて、「こんなに面白い世界があったのか」と驚いたのが始まりです。それまで触れてきたおとぎ話とは違う。もっと現代的なんだけど、ひねりがきいていました。また、1970年代にテレビで再放送されていた「スタートレック」シリーズ(「宇宙大作戦」シリーズ)をきいていました。たしか全部で70数話あって、そのほとんどを録音し、それぞれ3回ぐらいききました。この物語は、単純な勧善懲悪ではありません。理性と感情の軋轢や責任と献身、さらに差別問題や障害者なども描いていて、とても上質なストーリーだと思います。

 落語やSFにのめり込み、「今自分が生きている現実は、たくさんある可能性の一つに過ぎない」と刷り込まれていきました。盲ろう者になり、どん底状態でどう生きるか考えたとき、落語の「開き直り」につながりました。また、目が見えない、耳がきこえないとなったとき、SF的な状況になったと思いました。太陽系から外れた、知らない惑星に不時着したような感覚です。暗くて音がない、寒い惑星で、どう生きていくかを追求する。落語やSFの蓄積があったおかげで、状況をおもしろがりながら他の方法を考えるチャレンジ精神がわきました。

 

Q:映画『桜色の風が咲く』をご覧になった感想は。

――この質問を受けると少し困るんです。というのも、盲ろう者である私は、リアルに映画を鑑賞することができません。ただこの映画は、心の中に息づいています。なぜなら私自身、シナリオを二十数バージョン、チェックしているからです。不正確な発言やおかしい表現で誤解を与えたくなかったので、事前に確認したいと条件を出していました。

 実話に基づいている部分は6~7割。残り3~4割は、映画オリジナルのフィクションです。おふくろが指点字を考案する場面は相当リアルにできています。私が川にケーキを吐き出したのも、病院に嫌な医師がいたのも実話です。片思いの相手「マナミさん」もモデルがいます。

 ちなみに気に入っている場面の一つは、地味なんですが、親父がおふくろに「智と心中でもしようと思とんのか」と聞くシーン。このやり取りは、おふくろの日記に記録されていたものです。「死なないでくれ」とは言わずに「心中は(殺人だから)智が迷惑に思うぞ。死ぬんやったら、おまえ一人で死ね」と言ったのは、親父らしい、究極の慰めだと思います。おふくろに、それを言われた時どう思ったか聞いたら、「もし私が死んだら一番困るのはあんたやろに、と腹が立った」と言っていました。悲惨な状況を相対化し、とっさの一言でおふくろの感情を転換させたのはうまいですよね。親父はもともと非行少年だったので、修羅場への対応力があったのだと思います(笑)

 また、近所の子どもに義眼を外すよう求められるシーンがあります。映画では、おふくろが学校へ文句を言いにいこうとして親父に止められますが、実際は相手の子どもたちの家へ行こうとして止められたそうです。現実では別の時に、私が遊んでいた相手の子どもにちょっとした引っ掻き傷を負わせて、謝りに行かされたこともありました。小学2年のころです。授業中、好きな女の子がいる別のクラスまで、担任教師に謝りに行かされました。その時の彼女の目が忘れられません。やられた男の子は、これ見よがしに痛そうな顔をしていましたね(笑)。人に文句を言うより言われるほうが多い、そんな子ども時代でした。

 

画像 福島先生のバストショット にこやかな表情

 

不完全でも、実践を重ねるしかない

Q:そもそも福島教授は、どのように映画を鑑賞されているのですか。

――できる限りシナリオを読んでセリフを頭に入れておき、上映中は可能な範囲で、通訳者に演技や表情の情報を重点的に説明してもらいます。

 Palabra(パラブラ:UDCastの運営会社)さんは見えない・きこえない人と、見える・きこえる人のギャップを減らそうと、映画のバリアフリー化を進めているのかもしれません。とても大事なことですが、残念ながら見えないものは見えないし、きこえないものはきこえない。障害がない人と同じように鑑賞することはできません。そこは如何ともしがたい。別のものとして、その人なりにとらえるしかないのです。

 私のかみさんは、絵を鑑賞するのが好きです。ある時、彼女が上野へゴッホとゴーギャンの展示を見に行ったのですが、そのあと頭が痛くなり、駅でフラッと倒れてしまったそうです。絵を見た衝撃や複雑な思いが影響したのだろうと思います。僕は言語を通じて絵を想像することはできますが、ここまでの衝撃はありえません。音楽もそうです。カラオケに行くろう者もいますし、音楽を手話で表現する試みもあります。でもそれは元の音楽とは全く違うもので、あくまで想像の世界でしかありません。

 水を差すようですが、障害者が芸術を鑑賞するには必ず一定の制約があります。どんな方法を使っても、リアルなままを鑑賞することはできません。そこは幻想を持たないこと。そのうえで何ができるか、別の形でどう鑑賞するかを考えるのが大切だと思います。

 もうひとつ、目が見えない人にきこえる音は、見える人にきこえる音と必ずしも同じではありません。視覚がない分、音に集中しているからです。例えば私は香りや味に敏感なんですが、これは鼻や舌が良いからではなく、視覚と聴覚がない分、気がそちらにいくだけです。みんなそれぞれ感じる世界があるということ。それ自体、すごいことでもつまらないことでもない。たぶん映画や演劇を鑑賞していても、どこに惹かれるかは人によって違うし、とらえ方も違う。鑑賞者も多様、感受性も多様です。その中で最大公約数をとれるかどうかが、作品の良し悪しを決めるのでしょうね。

 

Q:映画業界では、まだまだ情報保障が当たり前になっていません。

――障害者と接触した経験がないからです。多くの場合、障害がある人とない人はそれぞれ別の学校に通いますし。先ほど「どんな想像力も、具体的な体験が基礎になっている」と話しましたが、障害者との交流も同じです。いくらマニュアルを読んで頭で理解していても、個別具体的な体験が希薄だと、悪気がなくても肝心なところが抜けてしまいます。

 異文化との接触が少ない日本は、海外と比べて同調圧力が強い。異質なものを排除することで、あたかも排除する側に連帯感が生まれているかのような幻想を抱きがちです。もう、実践を積み重ねるしかないのだろうと思います。自分だけではない、さまざまな立場の人がいるのだと、徐々につかみ取っていくしかありません。

 完全なものを目指す必要はありません。私が今受けている通訳も、完全ではないんです。大事なのは、相手にベクトルを向け、近づこうとしているかどうか。盲ろう者もそうだし、おそらく一般の人もそうです。見えてきこえていても、相手を完全に理解することはできませんよね。孤独な人に寄り添う時もそうです。一つになることはできない。でも互いに近づこうとする思いは共有できます。接続はしないけど、気配を感じ取れるところまで近づく。それが、我々ができるギリギリのところなんでしょうね。

 

画像 福島教授の手のアップ 

 

福島智 プロフィール

ふくしま・さとし/1962年、兵庫県生まれ。3歳で右目、9歳で左目を失明。18歳で失聴し、全盲ろうとなる。83年東京都立大学に合格し、盲ろう者として日本初の大学進学。金沢大学助教授などを経て、2008年より東京大学教授。社会福祉法人全国盲ろう者協会理事を務める。著書に『盲ろう者として生きて』(明石書店)、『ぼくの命は言葉とともにある』(致知出版社)など。1996年、母・令子と共に吉川英治文化賞受賞。2015年に本間一夫文化賞受賞。

 

映画『桜色の風が咲く』

全国順次公開中 配給:ギャガ
©THRONE / KARAVAN Pictures
9歳で失明、18歳で聴力を失いながらも世界ではじめて盲ろう者の大学教員となった
東京大学先端科学技術研究センター教授 福島智と母・令子の実話にもとづく物語

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関連作品紹介

映画『もうろうをいきる』
目も見えず耳も聞こえない”盲ろう者”の人たちの暮らしの日々を通して、 人と人とのつながり、コミュニケーションを問う。福島教授ご出演のドキュメンタリー映画。 
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パラブラ映画部サイトにてディスク発売中別のウインドウを開く

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